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Atsuko's mind

画家&母の活動のご紹介と日々の想いを綴っています。*本ブログの無断引用、転載は著作権法違反です。

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フジコヘミングの時間

映画「フジコヘミングの時間」を観てきました。

フジコヘミングの音色。
素晴らしいと思いながら、前は、少し遠かったんです。
どこか、わたしの知らぬ人生の苦しみを感じてしまう、そんな音色に思っていました。

なのに、
今度はど真ん中で、感動しました。

私も、苦労したってことかな(笑)。

いや、たしかにそうで、
いちいち語れないけれど、
色々と、次から次へ絶え間なく試練が続き、
今度ばっかりは、正直とても辛かったなあ。
特に春からは全力疾走。
半分壊れたままの心身を、
労わる間無く、
泣きながら走ったって印象が、
今あります。

だから?

フジコヘミングの音色、今までで一番響きました。

フジコヘミングさんは、
片耳しか聴こえてなくて、しかも、40%の聴力で、
どうしてあんなに弾けるのだろう・・・
疲れるとほとんど聴こえなくなるようで、
それでも弾いて、

大喝采。

奇跡の人とはこの人のこと。


それから、もう一つ、
その音色に涙する人々が、
その苦しみの深さが、
フジコヘミングさんの音色を通して伝わって、
私の孤独も癒してくれるようで、
この世界に生きる人々のこと、
また少し愛おしくなりました。


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奇跡の連なり

 太陽の塔の内部見学で、たまたま集合できた6人。お互い、とてもよい時間を過ごすことができました。
 予約も奇跡なら、出会いも奇跡。リラックスしつつも感動的で平和なひと時で、日々のストレスを追っぱらえました。大げさですが、私個人的には、ああ生き延びた〜って思えたほどのもの。
 なんだかんだと楽しく、夜22時まで皆とご一緒しました。
 万博公園内のホテルのレストランは、遅い時間にも関わらず、子供達の声で賑わったのでした。

 奇跡は気候にも!

 記録的な猛暑の日々の最中、なんとこの日は、珍しく涼しい夜でした。

 万博公園は、子供向けのイベントが満載で、出会ったばかりの子供達は仲良く夢中で遊んでいました。大人達は芝生に座っておしゃべり。ぺたんと座り込んだら、とっても気持ちがよかった!

 日没と共に、徐々に公園内のイルミネーションが光り始め、太陽の塔がライトアップされます。太陽の塔の三つの顔は現在過去未来を表しています。表側の現在の顔は、夜になると揺らめくライティングで、たいへん幻想的です。こちらはけっこう有名に思いますが、裏側の過去の顔の方はあまり知られていないのではないのかなと、せっかくなので写真をアップします。日中観る顔に比べ、夜はどきっとするほどの迫力で、たいへんカッコよかったです。ちなみに、黒い部分は陶器でできているそうです。てっぺんの未来の顔は、夜は二つの目がピカッと光り、角度によっては、闇夜に目だけがピカーッと光ります。万博公園を歩きながら、何度も振り返りながら観ると、その度に光り方が違って見えました。

 奇跡はまだあります。

 万博公園内の民族博物館は、地震の影響のためにしばらく閉館中で、訪れることができず残念に思っていたのですが、プロローグの地底の太陽のところで飾られていた神様を表現したお面や人形は、民博から借りてきたものだとのこと。民博の、一番要の部分が観れたような気がしました・・・というのは勝手な想像ですが、これも奇跡と思うと楽しさが倍増するので、そういうことにしておこうと思います。

 この旅で最高の英気を養え、エナジーチャージとなりました。

 数々の奇跡に感謝します。

 夏休みの後半戦、この調子で、まだまだ奇跡が繋がっていきますように。

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エキスポ’70パビリオン

 太陽の塔の’70年代の創造物に心を奪われたら、エキスポ’70パビリオンという大阪万博の全貌がわかる展示館に行かないわけにはいきません。翌朝、遊園地に気を取られそうな息子を説得し、展示館へと足を運びました。

 幼少期、大阪万博には連れて行ってもらっているにも関わらず何にも覚えていない私。何か思い出せればという思いもありました。やはり、何も思い出さない・・・と思った矢先、目に飛び込んできたのは遊園地で遊ぶ人々の映像。遊園地で遊んだことはしっかり思い出しました。あともう一つ、展示されていた手のひらでできた椅子にも記憶が蘇りました。これまた毒々しい昭和カラー。実際に腰掛けることもできました。

 大阪万博に関わった人々のこと、パビリオンの様子、ここでは当時のことがよくわかります。スペースシアターという円形の劇場で(最近まで未公開のまま保存されていたらしい)、岡本太郎が語る万博に込めた思いの肉声も聴くことができました。その内容は、太陽の塔を取り巻く会場の地上階は、この世界は偉い人が支えているのではなく、平凡な生活を送る一人一人が支えていることを語り、空中には、未来の生活が表現され、平凡な一人一人ながらも、希望をもって生きている一人一人だということが同時に表されている。地下は、人間になる前の命の元が表現されていて、これらが何一つ欠けても成り立たないのがこの世界であると・・・言葉は少し違うと思いますが、そんなことを語る肉声でした。

 熱狂の様子、規模の大きさ、どれほど大きな祭典であったか、どれほど多くの人が訪れたか・・・昭和の興奮が伝わってきました。
 みんなが幸せな未来を信じて疑わなかった、そのことこそが幸せだと、今の時は語ります。あの時に夢見た未来の日々は、今、どれくらいここに在るでしょうか。
 
 大阪万博のテーマは「人類の進歩と調和」でした。大量消費に向かって進む中で、これらを実現していけるものと確信していた機運が圧倒的な中、岡本太郎は根源的なところで私たちにとって大事なことを語っています。人々が熱狂した大阪万博のほとんどが消え去る運命にありましたが、太陽の塔だけは残されました。昔も今も変わらず新鮮に響き、きっとこれから先もずっと、日本人のアイデンティティを支えつづけてくれることでしょう。素晴らしいアートに、心から敬服します。

 ところで、熱く語っておりますが、カメラの電池がなくなるわ、息子がしびれを切らして何度も呼ぶわで、実際は落ち着かない観覧で、それゆえに身勝手な解釈になったかもしれません。あしからず。いずれにしても、’70の興奮を味わってみたい方は、ぜひエキスポ’70パビリオンを訪れてみていただきたいです。

 それにしても、ほとんどの記憶は遊園地だという私にくらべて、たとえ七歳だとはいえ、息子は、これほど太陽の塔に魅せられていることは、親ばかながら嬉しいことです。出会いはEテレの番組。単純な出会いながらも、その奇跡に感謝です。太陽の塔の三つの顔のことも、生命の樹のことも、この度あらためて息子から教わりました。内部公開はこの春から、しかも、予約がなかなか取れない中、こんなにレアなうちに行けたのは、熱中してくれた息子のおかげです。また、薄い記憶ながらも私自身が大阪万博を訪れていたことが、余計にこの度の奇跡を引き寄せてくれのだろうと思います。連れて行ってくれた両親、お世話になった親族に、深く感謝します。

つづく

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太陽の塔の内部見学

 この夏の旅は、太陽の塔の内部見学で万博公園に行ってきました。

 4ヶ月前、毎夜、眠い目をこすりながらも頑張って起きて予約を取ったのは、太陽の塔の大ファンの息子のため。

 一度に取れる予約は6人までです。みんなで行ったら楽しいかなと、関西在住の懐かしいお友達をお誘いしました。なかなか予約が取れないことに、人生の奇跡を使い果たしたらどうしようという勢いで喜んでもらえました。お友達とは親子ともに素敵な時空を過ごすことができ、慌ただしい日々にひとときの休息にもなりました。

 さてさて、最初にお出迎えしてくれたのは「地底の太陽」。’いのり’がテーマで、保存するはずがなぜか失われてしまった第四の顔です。この度の内部公開に向けて復元され、プロジェクションマッピングの演出が施されていました。地底の太陽の周りには、たくさんの世界中の神様を表現したお面や人形が取り囲むように展示されており、強烈なインパクトがあります。なんと、当時はもっと多くの面や人形を、岡本太郎自ら世界中から集めてきて、展示されていたそうです。すごい!

 太陽の塔の内部は、てっぺんまで伸びる「生命の樹」。アメーバから恐竜、そしてクロマニヨン人まで、私たちのこの世界、自然界の生き物の進化が表現されています。一番上に人間を配していないことにも意味があります。赤い光に照らされた壁は音響効果用の細工が施されていますが、ホールなどで当たり前にあるこういった壁は、これが先駆けであったんだそうです。怪しい赤い光は昭和な赤。当時はもっともっと薄暗い赤い光だったそうです。

 当時はエレベーターが取り付けられていましたが、今は階段です。現在の耐震基準にあわないということでエレベーターは撤去されました。塔の両手の先まで行けるように階段がついていて、ここから空中に設けられたスペース(未来の空間が表現)への避難通路であったそうです。
 内部は完全な復元ではなく、失われたままの状態のものも多々あります。吊るされた作品は新しく作られたものもありますが、随分少なくなってしまっているようです。恐竜の口やお腹は、当時は動く仕掛けになっていたそうで、まさにウルトラマンやコジラの世界。大きなものは重さが1トンもあるとのこと。細い木の枝に乗っかっているのですから驚きます。

 塔の内部はそんなアナログ感でいっぱいで、現在のデジタル時代とは違うパワー&エネルギーがありました。内部は一切撮影禁止。それだけに、’観る’’味わう’に徹することができて、空気感や肌触りみたいなものを、たっぷりと心の中に刻むことができました。

つづく

↓現在の顔を真似てポーズ
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水と山

 子供の頃、 窓からよく山と空を眺めて過ごしていました。
 
 雨が降ると、山の木々の間から、ものすごい量の霧が上がってきます。
 モクモクモクモクモクモクモクモク・・・・それはそれは結構な量。どこまでもどこまでも湧き出で、やがて空と繋がり合っていく。
 霧を背景に松の木々が美しいフォルムで浮かび上がったかと思うと、次の瞬間には、また霧に覆われて見えなくなる。霧の動きは結構な早さで、情景をどんどん変えて行く。それはそれは、美しい映画のワンシーンさながらで、一時も見逃すまいと思うほど、美しく、酷く神々しい情景でした。

 子供の頃、学校では、広島は大変穏やかな気候で雨が少なく、特徴的な自然災害は干害、、、と、確かそんな風に習いました。
 実際、私が育った島は、幼少期にはまだ、水道設備が今ほど十分ではなかったために、よく断水になっていたこと、薄っすらと記憶があります。本土のダムから安定した供給がされるようになり、断水はなくなりました。

 山から湧き水を引いてもいて、そういった’山の水’は、日常、お風呂やお洗濯に使います。飲料に使う水道水が断水しても、山の水の方はすぐには止まりませんでしたし、少し強い雨が降った後にお風呂に水を溜めると、蛇口からは茶色く濁った水が出てきます。

 そんな私が思うことは、山の恩恵で大きなものの一つは「水」だということを感じます。驚くほど湧いてくる霧、日照りが続いても枯渇しにくい山から引いた水道、そのことだけでも、山というものは、想像をはるかに超え、たくさんの水を溜め込んでくれる場所だということを感じます。山が、雨水をスポンジの如く吸い取ってくれているのではないだろうかと。

 近年、地球上で洪水があちこちで起きるようになり、温暖化対策が急がれていますが、それと共に、私自身は山を取り戻そうよという気持ちにもなります。土砂が崩れるような被害が起きないようにすることも大事ですが、失われた山々を取り戻すだけでも、水の居場所が確保できやしないだろうかと、素人ながら思うのです。あくまでも、自分自身の体験からの直感的見解ですが、水を本来の居場所に戻してあげたい、そんな思いに駆られます。

 たまたま、去年、アフリカでの自然保護の活動の報告会で目にしたものは、都市から都市へ移動する際に空から地上を撮った画像です。そこには、緑の森が延々と禿山になっていました。生活のために木を伐採し尽くしたとのことでした。これはどれくらいの広さかと問いましたら、延々と、どこまでもどこまでも、次の都市までずっと続いていたということでした。

 山はそれぞれの国のものであっても、空は世界中でつながりあっていて一つ。
 地球上のみんなが、山を守る意識で一つになれたらいいのにと思います。

霧の霊山 パステル

 霧の霊山 パステル画
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