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Atsuko's mind

画家&母の活動のご紹介と日々の想いを綴っています。*本ブログの無断引用、転載は著作権法違反です。

観察

美術の力のひとつは観察力ですが、これが、育児にも役立つなあと思います。

昨日はこんなことが。

夕方、プールに連れて行きました。レッスンを頑張ったご褒美に、オヤツをよくねだられます。大抵はスポーツセンターの自販機でアイスクリームを買ってやるのですが、昨日は、練習が終わった後で、すぐそばの大型ショッピングセンターに用事を済ませに行く予定になっていました。せっかくだから、おやつはショッピングセンターで買うこともできるという選択肢も与えていましたが、息子はいつものアイスの方を選びました。

その後、ショッピングセンターに行きましたら、何列もの棚に陳列されたたくさんのお菓子、キラキラ眩しい。それを見たら欲しくなったようで、買って買ってと言い出す。当然却下。しかし、その後、ワーワーと全く泣き止まず、帰路の車中も自宅に着いても、延々と泣き止まないのです。次の機会にそこで買えばいいと、今日は予定を変更するほど自分の体調も時間の余裕もないこと、そもそもちゃんと選択肢を与えていたし選んだのは息子自身だということ・・・話せば話すほど、何度も涙が溢れてくる。希望が通らないからといってもあまりに辛そう・・・。単なるわがままと受け止めていたのが、だんだんと、息子の気持ち、他に何かあるような気がしてきました。

それで、何がそんなに辛いのかと尋ねてみましたら、
ショッピングセンターのお菓子のこと、よく知っている場所なのに全く想像できなかった。なんでもすぐ忘れてしまう自分が悲しい。そんな自分はダメだと、さらにワーンと泣きながら話してくれました。

自分のことが悔しかったんだ。

ああなんて健気。


その後、次からは、息子がなるべく思い出せるように、もう少し説明を入れて話すことを約束してやりました。

それから、

「忘れる」ことは「覚える」ことと同じくらい人間の大事な能力、忘れないと脳がパンクして大変で、夢は脳の記憶を捨てる時に見ているらしいなど・・・いろんな楽しい話もしてやることもできました。

忘れることへの罪悪感が減ったかどうかはわかりませんが、
じーっと観察したおかげで、息子の苛立ちの矛先は、私でなく息子自身だったことに気がつけたなあと、
ありがたく思ったのでした。
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学校に行くという日常性

一時期、息子が学校に行き渋るようになり、週の半分しか登校しない日々が続きました。
しかし、今は毎朝、元気に登校し元気に帰ってきます。
もう、この頃は、休むという気持ちすら起きなくなったようです。


毎日、学校に行って帰ってくる。
こんな、なんでもない繰り返しの日常が、実はとても尊くて深い。
私の中で、あらためて深まる日常性の価値。


規範と個性、
マジョリティとマイノリティ、
システムと個人、
・・・・

それらを
優劣で語ろうとしたり、
どっち側かと区分けをしたり、
対立関係に置いたり、
そういうことが、よくあるように感じてしまうんですが、

そうではなく、

それらは、
相互に関係しあい、
入り混じり、
同じくらいどちらも大事で、
どちらも欠かせないものだと、

そう、はっきりと私の中で答えが出せたところがあります。

自分が、どっち側かなんて、その場その場で変わってくるもの。
そういう前提に立つと、そこから見えること、わかることがある。
それが、最もしっくりきた答え。

少数派だなあと思いながら、大多数の中に身をおいてみる。
大多数だなあと感じつつも、少数派の世界を味わってみる。
そういう「行き来」が、特に、成長過程においては、とっても大事で、行き来のスキルをたくさん身につけることで、人生の自由度が増すのではないかと。
こっちの立ち位置にいながら、あっち側に合わせてみてみる。
あっち側から戻ってきて、もっぺんこっち側を味わってみる。
そういうところから、自分がやるべきこととか、人生の意味とか、そういう大事なところが、わかってくるんじゃないかと。
一歩踏み出すとかって、そんなことでもあろうかと、

いろんなことに戸惑いながらの育児の日々の中、
なんとか着地できた思いは、こんなところでした。

落ち葉

落ち葉ひらひら。

この時期の、桜の葉っぱの色づきが、けっこう好きです。

落ち葉は、傷んでいないものを拾うのが普通かなと思いますが、私は、敢えて、傷んだ葉っぱを持ち帰ります。

予備校生の頃、毎日のように水彩画で花を描いていました。
虫食いや、傷んだ模様、千切れてたりする葉っぱがあるときは、それをそのまま描いた方が自然に見えるから、そのまま描きなさいと教えられました。

それからというもの、傷んだ葉っぱの方が愛おしくなってしまった私。

傷んだ葉っぱの方が、むしろ、宇宙。

葉1s
葉17s
葉2s


神隠し

我が家は色々ありまして、ここ数ヶ月間、アトリエには入れないどころか、写生すらできない日々を強いられておりました。育児中は、突発的なことで予定変更に見舞われるものですが、こんなに長い間、ノンストップでそんな時間が続いてしまうという、なんとも厳しい、大げさに聞こえるかもしれませんが、実際、命がけで走り抜けた数ヶ月間でした。

ほんとうによく頑張ったって自分を褒めてあげななきゃなあと思うこの頃です。

まあしかし、晴れて、自分の時間が到来しました。

ところが、久しぶりに仕事場に入ってみると、数々の描きかけの作品や資料やら画材が、めちゃくちゃに散乱。準備した紙は、酸化してすっかりダメになっていました。何もかもが残骸に見え、過去がうんと遠き日々に感じられ、さすがにくじけそうになる。

気を取り直し、一つ一つ丁寧に手に取って行くうちに、
だんだんと、描き始めた時の感動が、蘇ってくるものがある。

よし、もう一度仕切り直し!新たな構図、新たな色彩で描こう!

と思ったのもつかの間、
今度は、
あの写生はどこ?下図はどこ?エスキースは?詳細資料は?
どこどこどこー?ないないなーい!?と。
まるで神隠しにあったかのように、ない。

時は金なり。
凹む。。。


世の中、ロボット時代になってきたのだから「◯◯を探して!」っていうと「ハイ、コチラニアリマシタ」と見つけてくれるロボットができたらいいのにネ。
赤外線みたいので、ピピピーッて透視して見つけてくれたりしたら、最高じゃないの、ねえ。



小さな成功体験が育てる大きな自信

本日は、子育てネタです。

今朝は鼻歌と共に、学校に行きました。
いつもより早めに支度ができたことが、とっても嬉しかったようなのです。
私が記憶する限りでは、こんなに嬉しそうにしたのは初めてのこと。学校が決めた時間に、間に合おうが間に合わまいが、何にも気にならないようでした。

この瞬間待ってました!と思う母です。

できて嬉しいということを、わざわざ「成功体験」として意識させたいと思うわけなのです。
頑張る力、一歩踏み出す力を学ばせるチャンス到来。

できたできないに感動が伴わないうちは、どれほどうまく行ったことであっても、本人にとって成功体験にはなり得ないことだろうと。
また、自分以外の誰かや何かをお手本にしたり、他者との良き競い合いも、頑張る力を育ててくれますが、どちらかというと、誰かと比較しない中での自分自身ができた!やった!という感動の方が、真の自信に繋がることに感じています。

息子が帰って来たら、わざわざ今朝のことを話し、感動をもう一度思い出させて、と企んでいるところです。