Atsuko's mind

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森のようちえん体験記 その3

 子供同士の喧嘩をどう見守るか、どこで止めるか、またどのように喧嘩をさせるかについてですが、この森のようちえんでは、例えば、棒等を振り回して相手を攻撃するような喧嘩を始めた時は、先生が一度止めて、持っているものを離してから「どうぞ」と言うそうです。素手での取っ組み合いは、基本的には見守るということです。子供同士の諍いを子供達自身に任せます。

 その結果について、面白いお話がありました。子供達は「勝敗の無い解決」に行き着くのだそうです。
 子供というものは、言語が未発達が故に、言語で伝えきれない思いはすべて行為や身体で表します。喧嘩をさせてもらうことで、思う存分気持ちを出し合い、結果、お互いを解り合う、というところに行き着いているのでしょうか...。とにかく、気持ちのよい着地点のようで、羨ましくなります。

 一般的には、大人は子供達の喧嘩を即座に止めます。人と仲良くできるようになって欲しいからです。しかし、子供の世界は、大人が持つ善悪の理屈を持たない、もっと別の次元の話なのかもしれず、このような大人の理屈が、子供の世界にどれだけ意味を成しているのかは、なかなか計りかねるものがあります。

 最近、ある一冊の絵本に出会い、気がついたことがあります。「すーちゃんとねこ」という絵本で、息子はこの絵本が好きで、何度も読んでとせがみます。なぜこの絵本を好むのだろうと不思議でならなかったのですが、だんだん、この絵本に描かれている世界が、子供の世界だからかもしれないと思うようになりました。

 そのお話とは-----すーちゃんという女の子が、ネコが木に登って取った風船を、あっというまにすーちゃんが奪って、そのまま家に持って入ってしまい、そのあとしばらくふうせんと楽しく遊びます。ネコはそれをずっと見ながら、さんざん悔しくて悲しい思いをします。翌日、ねこはまた同じ木に登り、今度はふうせんをもっとたくさん取ります。そこへ、すーちゃんが昨日の風船を持って現れ、ネコのふうせんを一つちょうだいと言いますが、ネコはイヤダヨーと言って空に飛ばします。またちょうだいと言い、ネコはイヤダヨーとまた飛ばします。そして、どんどん飛ばしていくうちに、すーちゃんも飛ばすことが面白くなってきて、自分の持っていた風船も飛ばします。最後、全部の風船を飛ばし、ネコとすーちゃんは仲良く、風船が飛んで行く空を眺めてるところで終わります。

 ネコは意地悪をしたすーちゃんにちょっと仕返しをしますが、その後すぐに、二人とも別のことに夢中になっています。善悪を描く深みはなく、ただ次々に展開していく気持ちが描いてあります。この絵本を、子供が夢中になっている様子をみながら、最初はなぜ?と思いましたが、ある日、ああ、これが正に子供の世界観なのだと、なるほど着地点は勝敗のない解決だ、と思ったのです。
 
 それぞれの大人が、これを解決と見るか、また、喧嘩の時にどうするかの判断は、いろいろかもしれません。
 なおのこと善悪を教えていかねばと考える大人もいれば、子供の世界に任せてしまおうと思う大人もいることと思います。

 ただ、森というフィールドでは、後者の方が、自然の形が故に、ピッタリのようです。


 さらに、森のようちえんの保育士さんに、このようなお話も伺いました。

 「子供達は、このように人間関係を育む中で、お互いの良いところと悪いところを把握しあうようになります。そして、お互いに適切な役割を与え合い担うようになり、そのことでお互いを認め合うことができていきます。そして、みんなそれぞれが、自分自身の存在にも、自信を持てています。」

 「’実りの秋’といいますが、夏までバラバラだった関係が、秋に結束されていくんですよ」


 自然に委ねると、自然な秩序が成り立っていく…。子育ての難しさを抱えてしまった時は、一度、自然に委ねてみると、整っていくものがあるかもしれませんね。

 子供達の営みには、大人には見えていないものがいっぱいあるようですが、自然な形の中に、大人にも見えてくるものが、たくさんありそうです。
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