Atsuko's mind

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森のようちえん体験記 その4(完)

 実は、森のようちえんにの見守り保育は、よい美術教育と、とてもよく似ています。

 特に、子供に与える美術教育に於いては、その機能を十分働かせる為に、見守ることが一番なのです。
 絵や詩やダンスといったものは、人類が、言語を持たない以前に存在していたものです。ですから、これらは人の自然な働きの上に成り立つと、言えるものなのです。絵を描かない子供がいないのは、それが人間の中に、自然な機能として備わっている、そのことの現れと言えるでしょう。
 ですから、大人が子供に美術を与えるときには、自然に寄り添うことが、もっとも大事になってきます。
 
 作品というものは、子供に限らずそれを作る人の心が映し出されます。心の奥深く潜り込んだ思いも全て、作品に表れてくるのです。言葉が未発達で、経験値が少ない子供には、解決のつかないことや整理のつかない思いがたくさんあります。しかし、絵を描くことで、それらの思いが自然に解決されたり整理されたりするのです。また、大人は、そこにその子が抱える問題を見つけ出すこともできるのです。

 例えば、大きなショックを受けた子供達(たとえば被災など)の絵は赤ちゃん還りをしてしまいますが、そのまま描き続けさせるうち自然に年齢相応の絵に戻っていったという、確かな報告もあります。また、私が指導した経験上でも、子供の心に何か起きているかどうかを、何度も見つけることができました。そのことから、親御さんが子供さんとあらためて話しをしてみた結果、イジメに遭遇していたことが発覚したということもありました。
 多くの大人にとって子供の絵は、手先が器用に動かせないが故に未熟なものだという観念が強く、こういった機能は見失われがちです。しかし、自分の力で解決する手助けや、コミュニケーションツールとしての働きも持っているのですから、できれば十分にそれらを機能させたいものです。大人が、このような意識で子供に接していると、子供との距離が近づき、育児がより楽しくなるかもしれません。

 この度の森のようちえんでは、一人で遊ぶ子供を、皆と一緒にと促すことはせず、そっとそのままにさせておくという見守りがありました。これは、子供の夢中を止めない、ということでもあり、よい意味の孤独で、美術でも大切なことです。
 紙からはみ出して床や壁に描いてしまっても、身体にペイントしてしまっても、できれば大人はそれを止めずに、微笑ましく見守って欲しいのです。それができない環境なら、そういう場を別に設けてあげたいものです。子供の心の混乱は、描く行為で昇華されます。その結果、わがままや癇癪がスッと治まるかもしれません。我が子を見ていましても、気が済むまで好きにさせた後は、とても落ち着いたよい表情をしています。

 また、我が家では子育てを、人の中に自然に備わっている機能に、ギリギリまで任せる思いで、あまりあれこれと教えない方針でいます。人間だけが見て学ぶことができる生き物だといいます。教えられて得ることより、自分で発見して得ることの方が、ずっと楽しいものです。’この世界は楽しい’というところから、人生をスタートして欲しいという、親の願いからでもあり、たくさんの発見を味わって欲しいと思っています。
 また、そうすることで、子供の心の変化がとてもよく見えてくるものがあり、私たち夫婦は、子供がわからないといと感じることが、あまりありません。
 
 大人はいつも子供の本当の心に寄り添いたいと思うものですが、なかなかその方法は難しいもので、また、育って行くごとに大変になるものかもしれません。いつか私も「子供がわからない」と言っているのかもしれません。
 しかし、自然に委ねることの中に、その難しさを解決して行く何かがあるのではないか?とも感じています。自然にはそんな働きが、どうもあるように感じられてなりません。
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