Atsuko's mind

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古典劇の世界---能、狂言に学ぶ

絵巻物のお次は、古典劇を学び中。

ある時お能と狂言を観て、日本の古典の中にマイナスの美学を見つけました。
それは飽食と物質社会の中で枯渇する何か、であり、極めて新鮮な、また極めてこの世の本質を捉えていることを感じ、私の心を捕らえて放さないものがありました。
筋もルールも知らず見たときの、感動でした。

最近、ちょっとした出会いの中で、詳しく古典を学んでいます。
さらなる感動が開けていきます。

昨日の学習と感動を書き留めました。

-----------

能、狂言、文楽、歌舞伎と、4つの古典劇がありますが、同じ題材でも伝えていることが違っていて、時代性を読み取ることができます。

たとえばお能の「俊寛」というお話は平家物語を題材にしたものです。文楽でも平家物語を題材にして「平家女護島」という作品があります。お能では信仰心、孤独や絶望をテーマにしていますが、文楽では自主性と家族愛がテーマになっています。中世は宗教の時代で死生観深まる戦国時代ですが、近世では「家」の在り方や個人の意志、選択の自由、恋愛などを重視する意識に変っていったのです。


一方、4つの古典劇には、変らない共通しているものがあります。

<劇場>
劇場は、幕が開いた世界を覗き込むような形ではなく、天空の下で展開され、客席と舞台が一つの宇宙の中に包まれるものとなっています。

<芸と演技>
役者は自分が役者であることを隠さず、芸を用いて役と役者を同時に観客に提示し、観客はそこに幻想を作りだすのです。

<仮面>
仮面を用い、細かい心理描写をするのではなく、意識を身体の中心に据え、オーラを身体全体から発して観客と呼吸を一つにし、たぐり寄せまた届けるという、言葉にならない目に見えないものを伝えるという奇蹟を起こすのです。

<女形>
もともと劇は神に捧げた祭祀であったので、女は舞台に立つことができず男が女を演じることとなったのです。

<語り物>
つまり叙情詩です。世界が次々に変化して繋がっていく。言葉が二重三重に意味を連ね、世界の多重を描きながら、思いがけない転移を可能にします。それらは適度な距離を保ちながら、一体となる瞬間を味わう。そんな距離の美学があるのです。



そして、重要なキーワードは「変身」「変化」。
世界が変わり、人が変身し、心が変化する....

古典劇は、世界を描くと同時に、変身を実現させるものだという。

--------(演劇評論家の渡辺保氏による「演劇入門ー古典劇と現代劇ー」より、自分なりに要約して記しました)




昔と変わらない形で残っている古典劇が語るものは「変化」。
なんて...面白いんだろう。


いつも、厳島神社で同じことを感じます。
刻々と移り変わるもの(光、波、音、風、温度...)の中に包まれながら廻廊を歩いている私は、同時に何百年も前に生きた誰かも、同じものに包まれて歩いていたことを。

変らないものは何一つ無く、また、永遠に変らないものがある。


この矛盾は宇宙そのもの。

だから残ってきたんだなあって。

そしてそれこそが神の意思。


個人の人生も大きな宇宙と同じ。
守ることを目的とせず、変ることを目的として、自然に近づくのだ。
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