Atsuko's mind

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待つ

息子は一歳八ヶ月になりました。

すくすく、ほんとに想像以上にすくすく育ってくれています。

親の年齢としては、ずいぶん遅くの出産をしましたが、私たち夫婦はずっと子供は大好きでしたから、毎日がとても輝いています。

特に、これまで、子供の教育や心理学の本は愛読書でもあり、夫と一番盛り上がる話題でもありましたから、今、現実に子育ての中で、それらを実感できる楽しみでいっぱいです。


子育てで一番大切にしているのは「待つ」こと。私の考えではこれが全てではないかと思うくらいのものがあります。


大人の時間はとても早い速度で進んでいます。しかし、それにくらべて子供時間というものははるかに遅い。子供自身が気づいたり納得したり理解したり、工夫したり発見したり、そこに届くまでの時間は、大人の想像を遥かに超えています。ですから大人側は、ただひたすら「待つ」ことでしか、子供のそういう能力を確認することはできない。しかし残念なことに、大人は毎日慌ただしいスケジュールに追われており、子供時間に合わせることがとても難しかったりしますし、子供は教えないとわからない...、と決めつけてしまったりします。実際、子育ての情報はそういうものも多いですしね。


しかし、我が子にこの「待つ」ということを努めて行ってみると、ほんとうに様々な能力をどんどん発揮してくれて、机上の空論ではないことに感動しています。

そのお話を二、三、記しておこうと思います。

<転ぶ>

まだ数ヶ月の頃のことですが、タッチしたり歩き始めたりしても、酷く泣かない限り、私はほとんど手を貸さないようにしました。転んで立ち上がるまでしば〜〜〜らくかかるのですが、ちゃんと自分で立ち上がります。ほんとに長くてこちらも根気がいりましたが、待っていると、自分で考えてどうしたらいいかを発見していく姿を、毎回見届けることができました。変なところに入り込んだときも、つい手を貸したくなりましたが、辛抱強く待ってみましたら、赤ちゃん也に工夫して上手に身体をよじって出てきました。
たくさん待った果てのことで、なおさらこちらも感動でいっぱい、子供は達成感に歓喜していました。

今、転んでも泣かない子になり、手を貸さなくてはならないくらいのときは、ちゃんと泣いてくれ、なんとも手がかかりません。

<食べる>

今、子供は一人でご飯を食べられますが、手づかみやスプーンが使えるようになるまでは、単純に進んわけではありませんでした。しかしこれも待つことを実践しました。そしてその効果に驚きました。

一度、手でもスプーンでも食べようとせず、完全に介助を求めるようになった時期があります。つい先日ま使っていたスプーンを全く使おうとしなくなったのです。「できるだけ使うように促して!」と周囲にアドバイスされましたが、私は思い切って逆をいってみることにしました。先祖返りには必ず理由がある。何があった、かまではわかりません。子供の心に、食べ物に対して?食事に対して?なんらかのショックがあったのかもしれません。大人の目線でスプーンを使わせるように促してしまうと、子供の心に起きたことを解決しないままに進んでしまう危険があると感じました。子供の先祖返りにとことん付合うことを決めました。

しばらくの間、完全介助をしました。息子は、その間ずっと泣きながら食べていました。一ヶ月以上も続いたので、何度か不安にもなりましたが、根気よく続けました。

そうしたある日、突然、なんと、子供が自分でスプーンを持って、しかも上手に美味しそうに楽しそうにパクパク食べ始め、奇麗に平らげてしまったのでした!

長いトンネルを抜けたような、とても感動的な瞬間でした。

それ以後は、泣くこともなく、介助を求めることもなく、楽しげに得意げに手とスプーンを使って食べています。もちろんメニューは何も変わっていません。そして、以前よりずっとスプーンが上手になっていたことにも、驚かされました。


子供の成長は突然といいますが、水面下ではじっくり着々とと進んでいることも、あらためて感じました。しかしながら、その時間は大人にとってはえらく長いのですが。

そして、人間には、自分の力で超える、獲得するという力があることを、この時は、はっきりと確認したような気さえし、わくわくしました。



<お片づけ>

子供が玩具を散らかすのを、毎日毎日片付けるのは、けっこうたいへんだったりします。しかし最近はあまり手がかからなくなりました。教えないのに自分でお片づけができるようになってくれたからです。

ある日、箱の玩具を買い与えました。小さな箱から順々に大きな箱まで10個あり、順番に重ねて入れたり積み上げることができます。箱の表面には絵と数字が描いてあります。最初はその箱を順番に重ねることも入れることもできずのままに遊んでいましたが、しばらくすると、順番に気づき、その後、表面の絵も揃えて並べるようになりました。数字はまだよく理解していませんが、大きさを間違えずに入れたり出したり積み上げたり並べたりしながら楽しそうに遊んでいました。それを見て、その玩具を存分に活用してくれてよかったなと思っていました。

しかしある時、マンマの時間だよ、と声をかけましたら、散らかしまくっていた箱を、奇麗に重ねて、さらにパッケージの外箱の中に片付けたのです。それから、食べにやってきました。

それ以後は、お片づけをすることは彼にとって当たり前の行為になりました。さあもうネンネだよ、というと、散らかした絵本を玩具箱に収めてから、お布団のところまで来るようになりました。一歳の子供がすることですから、忘れているものや、ちょっとしたことで気がちって中断してしまうこともあるのですが、これもナイナイね、というと思い出して続けてお片づけをします。

厳しく躾けたことはなく、私自身は、うるさく言われて渋々やっていた記憶しかないものですから、いずれ子供には教えないとならないと思っていました。ですから、教えないのに自分でやるようになってくれたことには、ほんとに驚いてしまいました。
これがずっと続くのかどうかはわかりません。けれども、今、この子を観て感じるのは、子供にとって、単に「気持よい形」にしているだけのことかもしれないです。そう思うと、お片づけの最初の一歩が「こうするのが決まり」や「しなければならないこと」「叱られるので」ということで進まないでよかったです。

何事に於いても「こうしなければならない」ということよりも「こうしたい」ということで動けることは何倍も幸せなことに思います。気持よくしたい、という気持での行為だとしたら、これからもずっと、大人になっても続いてくれたら嬉しいことに思います。



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まだまだ一年と八ヶ月の子育て経験。先輩ママさんたちには、一笑されてしまうようなことかもしれませんが、今の私也の感動を留めておきたいと思いました。

子育ては、特に子供が小さな時は特に、発達が早いか遅いかに一喜一憂しがちです。しかし、待つことでちゃんと子供が育ってくれる場面を確認したとき、焦って先回りして与えないことの方を、大切にしたいと思うのです。たしかに、他所のお子さんが出来ていることが我が子ができない場面を見る時は、正直、残念な気持にもなります。しかし、いずれ出来るようになることならば、どんなに遅くとも、子供自身が納得してつかみ取ることを優先してあげたい、そのためには「待つ」ことだと、あらためて強く感じています。





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