Atsuko's mind

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未知を楽しむ

先日、ある、ママ達のしゃべり場に参加してきました。そこで ’世間体ばかり大事にするという親に対して、できる限りの抵抗を母親に向ける子供。それに対し、社会をわかっていない、と、ガンとして譲らない親との、一悶着’ を例に上げられたりしながら、育児や教育の話題が進んでいました。

ちなみに、下記の児童精神科医の先生のブログに、その問題に対する、根本的な意味での回答があります。
http://blog.livedoor.jp/budouno_ki/archives/51376001.html

世間体といえば、最近新聞で「高度成長期には、人からどれだけ羨ましがられる生活をするかが、幸福の尺度だった。それに対して今は...云々」とある作家が語っていました。

かつては、世間体が一番大切だというのは、当たり前だったのですね。


人々の幸福の尺度は時代とともにどんどん様変わりするものでしょうが、その変化は想像以上に早いのだろうと思いますから、親子が価値観のギャップを抱えてしまうことは否めないわけです。ですから、我が子がどんなことに幸福を見いだすのかは、わからない、という前提で育児をした方がいいのだろうと、よく思います。


多くのママ達に接していると、正しい育児法を得ることを切望していおり、いつも何かがわからなく不安で、どうにかして安心を手に入れたい、という気持が見え隠れしてしまいす。知的なお母さんほどそう感じられてしまうのは、何かがよく見えたり解るからなんだろうと思います。


それに対して私は、高齢出産の老婆心ながら、また、育児若輩者ではあるけれども、

「よい方法はいくらでもあるけれど絶対的な正しさはない。親は日々究極の選択をし、起きてくるいかなる結果も引き受ける覚悟を持つこと。何か起きたら、そこからどうするかを考えることしかない。」

と言いたくなってしまいます。

また、場合によっては子にちゃんと謝ることも必要でしょう。



こういう考え方は、創作の仕事をずっと続けてきた中で得られたものです。芸術に縁のあるママ達からは、先に上げた不安感をあまり聞いたことはないのは、そういうことからかもしれません。白い紙に筆を置いていくこととは、未知を相手にすることでもあり、結果はよくも悪くも自分がすべて引き受けるしかないわけです。そういう営みを日々送っているうちに、だんだんとそんな太い心が育てられていくのです。

さらに言えば、芸術というものは「未知が不安」ではなく「未知を楽しむ」ものです。そのことは、さまざまな問題にに対しても、発想の転換を促してくれるものだと、あらためて感じる昨今です。


うちの子は2歳になり、まだまだ言葉はつたないながらも、だんだん物事がわかるようになり、それに伴って起きる複雑な心境を、様々な形で表現をしてきます。子供をできるだけ観察し、それが何を示しているのかを探りますが、わかりにくく、いつも手探りです。しかし、探ることがとても楽しいと感じています。わからないことに、取り立てて不安を感じないのです。子供が可愛らしい瞬間も至福の時ですが、こうした不可解なものを相手にああだのこうだの探っている時にも、育児の充実感を感じます。きっとそれは、芸術のおかげなんだろうと思います。

まだまだ子供が小さいからそんな暢気なことを言ってられるのよ、という声も聞こえてきそうですけど(笑)。



我が子を愛するならば、厳しい現実に備えるための知恵を持つことはとても大事に思いますし、不安感があるからこそです。しかし、もしも!に備えつつも、精神的には未知を楽しんでいけたら、多くのママ達の育児不安の肩の荷が、ちょっとは降ろせるのではないかなと思います。
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