学校に行くという日常性

一時期、息子が学校に行き渋るようになり、週の半分しか登校しない日々が続きました。
しかし、今は毎朝、元気に登校し元気に帰ってきます。
もう、この頃は、休むという気持ちすら起きなくなったようです。


毎日、学校に行って帰ってくる。
こんな、なんでもない繰り返しの日常が、実はとても尊くて深い。
私の中で、あらためて深まる日常性の価値。


規範と個性、
マジョリティとマイノリティ、
システムと個人、
・・・・

それらを
優劣で語ろうとしたり、
どっち側かと区分けをしたり、
対立関係に置いたり、
そういうことが、よくあるように感じてしまうんですが、

そうではなく、

それらは、
相互に関係しあい、
入り混じり、
同じくらいどちらも大事で、
どちらも欠かせないものだと、

そう、はっきりと私の中で答えが出せたところがあります。

自分が、どっち側かなんて、その場その場で変わってくるもの。
そういう前提に立つと、そこから見えること、わかることがある。
それが、最もしっくりきた答え。

少数派だなあと思いながら、大多数の中に身をおいてみる。
大多数だなあと感じつつも、少数派の世界を味わってみる。
そういう「行き来」が、特に、成長過程においては、とっても大事で、行き来のスキルをたくさん身につけることで、人生の自由度が増すのではないかと。
こっちの立ち位置にいながら、あっち側に合わせてみてみる。
あっち側から戻ってきて、もっぺんこっち側を味わってみる。
そういうところから、自分がやるべきこととか、人生の意味とか、そういう大事なところが、わかってくるんじゃないかと。
一歩踏み出すとかって、そんなことでもあろうかと、

いろんなことに戸惑いながらの育児の日々の中、
なんとか着地できた思いは、こんなところでした。

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