Atsuko's mind

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森のようちえん体験記 その2

 「手は後ろ、口はチャック、耳はダンボ」が、この森のようちえんの、大人のガイドラインです。
 子供達の遊ぶ様子をよく観察しながら、なるべく静かに見守ります。

 その日も、山道の脇の崖のちょっとした小道を登り始めた子供達。森の保育士さんは、慣れた子が登っているのか、初めての子が登っているのかを見わけ、大人の指導が必要だと判断したときにだけ、さっと向かい、安全の為の、年齢を配慮した順番や、子供と子供の間隔を指導していました。
 子供の好奇心を邪魔しないよう、しかしながら事故や怪我に繋がらないよう、最低限の指導をするのだそうです。

 この度のゲスト参加のT君と息子にも、振り回した棒が軽く手や足に当たる程度でなく、怪我になりそうな程の強さの時や、頭や顔に当たりそうな時には、注意指導をして下さっていました。

 
 実は、T君の親御さんも私も、近所の公園で子供を遊ばせるときには、このような見守り育児はできません。T君のママは、子供が棒を振り回し始めたら、すぐに止めに行くそうです。私も、公園で、息子が他の子を叩いた時はすぐに近寄り「どうしたの?どうして叩くの?」と聞いたり「お友達が痛いからやめようね」と教えます。
 これらは決して悪い指導ではないとは思いますが、そればかりになると、子供が自分で考えたり気付いたりするチャンスがなくなってしまうことも、一方で感じてしまうのです。
 自分で考え、選び、発見すること。それが、これから先の長い人生の上で、どんなに大事なことか。人生で起きてくる様々な問題に向き合う時の為に、ぜひともつけてやりたい力です。

 では、どうして公園で見守り保育ができないかですが、それは、偶然出会った関係の中では、同じ考えの親御さんばかりではないからです。
 少し叩いた時などの、喧嘩に発展する前に止めに入るかどうかは考えが別れるかもしれませんが、喧嘩になったらすぐに止める、という考えは、とても一般的なものだろうと思います。喧嘩というと少し語弊がありそうです。たとえば、ちょっとした諍いが起きたとき、見守り保育の場合は、子供同士で解決させるために大人が中に入ってくことをしません。しかし、この考え方は、現代ではあまり一般的ではないため、お互いの親の了解が得られていない場では、実現が難しいのです。

 また、何かが起きてしまってはならぬ、という風潮も強く、うっかり息子が相手のお子さんに怪我でもさせてしまったら、さらにそのお子さんの親御さんが、昨今、問題視されているモンスター親だったら…などと考えると心配で、安全策を取って、事前に注意してしまうのです。
 残念ながら、そういう面倒を受けて立てる自信は、私にはありません。

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森のようちえん体験記 その1

 先日、いくつかある「森のようちえん」のうち、徹底した見守り保育をするという森のようちえんに、初参加してきました。

 子供が、自分自身の力を出せるように手助けをする、そのために大人はなるべく口出ししない、というものです。

 ここの園児は10人程度、さまざまな年齢の子が一緒に活動をします。
 この度のゲスト参加は、息子と同い歳の男の子T君の二人。始まって早速、T君は自分の背丈よりも長い棒を拾って、振り回して遊び始めました。しかし、棒が、息子の手や足に何度も当たるのです。息子は、泣きそうな顔で私にヘルプを求めてきます。しかし、森のようちえんのルールで、私は中に入ってくことはしません。T君の親もT君に「止めなさい」と言いません。「棒を人に向けない」という森のルールだけ教えて、他は子供に任せ、大人は見守るのです。

 T君は、延々棒を振り回して遊ぶのが楽しくて仕方が無い様子。しかし、その度に息子の身体に当たり、息子はなんでこんな思いをしないといけないんだと、何度も泣きそうな顔を私に向けてきました。

 しかし、保育時間も半ばにさしかかる頃、遂に息子は「やーめて!」とT君に吠えたのでした。その後は「いやだ!」「しないで!」と思いの丈、気持ちを伝えました。棒を振り回していた子は、ただ楽しく遊んでいただけのつもりだったので、ビックリしていました。思いがけない息子の反撃に威圧されてシュンとなった場面も見受けられましたが、またしばらく経つと、二人は仲良く遊ぶようになりました。

 その後、別の場面で、年上の子が息子をからかいにやってきました。おそらく、小さい子を遊んであげようという気持ちだったのだろうと思いますが、息子にとっては彼の好意にいい気持ちがしなかったらしく「イヤだ」「やめて!」と言って反撃。すると年上の子はからかうのを止め、別の遊びを探していました。

 こうして、自分たちで問題を解決し、終わる頃には、ゲストも園児達の中に自然にとけ込み、みんな仲良く遊びました。子供達の表情はナチュラルで健全な自尊心に溢れ、お互いを認め合えている様子が見受けられました。

 その後、息子に「自分の気持ちが言えてよかったね。勇気を出して言えたね、頑張ったね」と言いましたら、とても満足した誇らし気な顔をしてくれました。その表情がは、2歳にしてはとても立派に見え、私自身もとても嬉しい瞬間を味わえました。

 実は、何度も助けを求めてきた息子に「イヤだったらイヤと言っていいんだよ」と、自分の気持ちを出していいという助言してしまいました。しかし「どうしたらいいのか考えてごらん」と言えば良かったと、すぐに反省。そのことすら、自分の力で見つけ出せたなら、息子自身の感動や達成感は、もっともっと大きいものになったに違いありません。私も、まだまだだの育児です。

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未知を楽しむ

先日、ある、ママ達のしゃべり場に参加してきました。そこで ’世間体ばかり大事にするという親に対して、できる限りの抵抗を母親に向ける子供。それに対し、社会をわかっていない、と、ガンとして譲らない親との、一悶着’ を例に上げられたりしながら、育児や教育の話題が進んでいました。

ちなみに、下記の児童精神科医の先生のブログに、その問題に対する、根本的な意味での回答があります。
http://blog.livedoor.jp/budouno_ki/archives/51376001.html

世間体といえば、最近新聞で「高度成長期には、人からどれだけ羨ましがられる生活をするかが、幸福の尺度だった。それに対して今は...云々」とある作家が語っていました。

かつては、世間体が一番大切だというのは、当たり前だったのですね。


人々の幸福の尺度は時代とともにどんどん様変わりするものでしょうが、その変化は想像以上に早いのだろうと思いますから、親子が価値観のギャップを抱えてしまうことは否めないわけです。ですから、我が子がどんなことに幸福を見いだすのかは、わからない、という前提で育児をした方がいいのだろうと、よく思います。


多くのママ達に接していると、正しい育児法を得ることを切望していおり、いつも何かがわからなく不安で、どうにかして安心を手に入れたい、という気持が見え隠れしてしまいす。知的なお母さんほどそう感じられてしまうのは、何かがよく見えたり解るからなんだろうと思います。


それに対して私は、高齢出産の老婆心ながら、また、育児若輩者ではあるけれども、

「よい方法はいくらでもあるけれど絶対的な正しさはない。親は日々究極の選択をし、起きてくるいかなる結果も引き受ける覚悟を持つこと。何か起きたら、そこからどうするかを考えることしかない。」

と言いたくなってしまいます。

また、場合によっては子にちゃんと謝ることも必要でしょう。



こういう考え方は、創作の仕事をずっと続けてきた中で得られたものです。芸術に縁のあるママ達からは、先に上げた不安感をあまり聞いたことはないのは、そういうことからかもしれません。白い紙に筆を置いていくこととは、未知を相手にすることでもあり、結果はよくも悪くも自分がすべて引き受けるしかないわけです。そういう営みを日々送っているうちに、だんだんとそんな太い心が育てられていくのです。

さらに言えば、芸術というものは「未知が不安」ではなく「未知を楽しむ」ものです。そのことは、さまざまな問題にに対しても、発想の転換を促してくれるものだと、あらためて感じる昨今です。


うちの子は2歳になり、まだまだ言葉はつたないながらも、だんだん物事がわかるようになり、それに伴って起きる複雑な心境を、様々な形で表現をしてきます。子供をできるだけ観察し、それが何を示しているのかを探りますが、わかりにくく、いつも手探りです。しかし、探ることがとても楽しいと感じています。わからないことに、取り立てて不安を感じないのです。子供が可愛らしい瞬間も至福の時ですが、こうした不可解なものを相手にああだのこうだの探っている時にも、育児の充実感を感じます。きっとそれは、芸術のおかげなんだろうと思います。

まだまだ子供が小さいからそんな暢気なことを言ってられるのよ、という声も聞こえてきそうですけど(笑)。



我が子を愛するならば、厳しい現実に備えるための知恵を持つことはとても大事に思いますし、不安感があるからこそです。しかし、もしも!に備えつつも、精神的には未知を楽しんでいけたら、多くのママ達の育児不安の肩の荷が、ちょっとは降ろせるのではないかなと思います。
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待つ

息子は一歳八ヶ月になりました。

すくすく、ほんとに想像以上にすくすく育ってくれています。

親の年齢としては、ずいぶん遅くの出産をしましたが、私たち夫婦はずっと子供は大好きでしたから、毎日がとても輝いています。

特に、これまで、子供の教育や心理学の本は愛読書でもあり、夫と一番盛り上がる話題でもありましたから、今、現実に子育ての中で、それらを実感できる楽しみでいっぱいです。


子育てで一番大切にしているのは「待つ」こと。私の考えではこれが全てではないかと思うくらいのものがあります。


大人の時間はとても早い速度で進んでいます。しかし、それにくらべて子供時間というものははるかに遅い。子供自身が気づいたり納得したり理解したり、工夫したり発見したり、そこに届くまでの時間は、大人の想像を遥かに超えています。ですから大人側は、ただひたすら「待つ」ことでしか、子供のそういう能力を確認することはできない。しかし残念なことに、大人は毎日慌ただしいスケジュールに追われており、子供時間に合わせることがとても難しかったりしますし、子供は教えないとわからない...、と決めつけてしまったりします。実際、子育ての情報はそういうものも多いですしね。


しかし、我が子にこの「待つ」ということを努めて行ってみると、ほんとうに様々な能力をどんどん発揮してくれて、机上の空論ではないことに感動しています。

そのお話を二、三、記しておこうと思います。

<転ぶ>

まだ数ヶ月の頃のことですが、タッチしたり歩き始めたりしても、酷く泣かない限り、私はほとんど手を貸さないようにしました。転んで立ち上がるまでしば〜〜〜らくかかるのですが、ちゃんと自分で立ち上がります。ほんとに長くてこちらも根気がいりましたが、待っていると、自分で考えてどうしたらいいかを発見していく姿を、毎回見届けることができました。変なところに入り込んだときも、つい手を貸したくなりましたが、辛抱強く待ってみましたら、赤ちゃん也に工夫して上手に身体をよじって出てきました。
たくさん待った果てのことで、なおさらこちらも感動でいっぱい、子供は達成感に歓喜していました。

今、転んでも泣かない子になり、手を貸さなくてはならないくらいのときは、ちゃんと泣いてくれ、なんとも手がかかりません。

<食べる>

今、子供は一人でご飯を食べられますが、手づかみやスプーンが使えるようになるまでは、単純に進んわけではありませんでした。しかしこれも待つことを実践しました。そしてその効果に驚きました。

一度、手でもスプーンでも食べようとせず、完全に介助を求めるようになった時期があります。つい先日ま使っていたスプーンを全く使おうとしなくなったのです。「できるだけ使うように促して!」と周囲にアドバイスされましたが、私は思い切って逆をいってみることにしました。先祖返りには必ず理由がある。何があった、かまではわかりません。子供の心に、食べ物に対して?食事に対して?なんらかのショックがあったのかもしれません。大人の目線でスプーンを使わせるように促してしまうと、子供の心に起きたことを解決しないままに進んでしまう危険があると感じました。子供の先祖返りにとことん付合うことを決めました。

しばらくの間、完全介助をしました。息子は、その間ずっと泣きながら食べていました。一ヶ月以上も続いたので、何度か不安にもなりましたが、根気よく続けました。

そうしたある日、突然、なんと、子供が自分でスプーンを持って、しかも上手に美味しそうに楽しそうにパクパク食べ始め、奇麗に平らげてしまったのでした!

長いトンネルを抜けたような、とても感動的な瞬間でした。

それ以後は、泣くこともなく、介助を求めることもなく、楽しげに得意げに手とスプーンを使って食べています。もちろんメニューは何も変わっていません。そして、以前よりずっとスプーンが上手になっていたことにも、驚かされました。


子供の成長は突然といいますが、水面下ではじっくり着々とと進んでいることも、あらためて感じました。しかしながら、その時間は大人にとってはえらく長いのですが。

そして、人間には、自分の力で超える、獲得するという力があることを、この時は、はっきりと確認したような気さえし、わくわくしました。



<お片づけ>

子供が玩具を散らかすのを、毎日毎日片付けるのは、けっこうたいへんだったりします。しかし最近はあまり手がかからなくなりました。教えないのに自分でお片づけができるようになってくれたからです。

ある日、箱の玩具を買い与えました。小さな箱から順々に大きな箱まで10個あり、順番に重ねて入れたり積み上げることができます。箱の表面には絵と数字が描いてあります。最初はその箱を順番に重ねることも入れることもできずのままに遊んでいましたが、しばらくすると、順番に気づき、その後、表面の絵も揃えて並べるようになりました。数字はまだよく理解していませんが、大きさを間違えずに入れたり出したり積み上げたり並べたりしながら楽しそうに遊んでいました。それを見て、その玩具を存分に活用してくれてよかったなと思っていました。

しかしある時、マンマの時間だよ、と声をかけましたら、散らかしまくっていた箱を、奇麗に重ねて、さらにパッケージの外箱の中に片付けたのです。それから、食べにやってきました。

それ以後は、お片づけをすることは彼にとって当たり前の行為になりました。さあもうネンネだよ、というと、散らかした絵本を玩具箱に収めてから、お布団のところまで来るようになりました。一歳の子供がすることですから、忘れているものや、ちょっとしたことで気がちって中断してしまうこともあるのですが、これもナイナイね、というと思い出して続けてお片づけをします。

厳しく躾けたことはなく、私自身は、うるさく言われて渋々やっていた記憶しかないものですから、いずれ子供には教えないとならないと思っていました。ですから、教えないのに自分でやるようになってくれたことには、ほんとに驚いてしまいました。
これがずっと続くのかどうかはわかりません。けれども、今、この子を観て感じるのは、子供にとって、単に「気持よい形」にしているだけのことかもしれないです。そう思うと、お片づけの最初の一歩が「こうするのが決まり」や「しなければならないこと」「叱られるので」ということで進まないでよかったです。

何事に於いても「こうしなければならない」ということよりも「こうしたい」ということで動けることは何倍も幸せなことに思います。気持よくしたい、という気持での行為だとしたら、これからもずっと、大人になっても続いてくれたら嬉しいことに思います。



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まだまだ一年と八ヶ月の子育て経験。先輩ママさんたちには、一笑されてしまうようなことかもしれませんが、今の私也の感動を留めておきたいと思いました。

子育ては、特に子供が小さな時は特に、発達が早いか遅いかに一喜一憂しがちです。しかし、待つことでちゃんと子供が育ってくれる場面を確認したとき、焦って先回りして与えないことの方を、大切にしたいと思うのです。たしかに、他所のお子さんが出来ていることが我が子ができない場面を見る時は、正直、残念な気持にもなります。しかし、いずれ出来るようになることならば、どんなに遅くとも、子供自身が納得してつかみ取ることを優先してあげたい、そのためには「待つ」ことだと、あらためて強く感じています。





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息子の初作品

4月から、息子は保育園に通っています。

泣くこともなく、ルンルンで通っており、靴を泥だらけにして帰ります。

先日は、鯉のぼりを作ったようです。
絵の具でペタペタやっただけで、あとは先生作成ですが、初の作品に感動してしまいました。

うちではクレヨンを与え、自然に始める瞬間を楽しみにしています。

まだまだ、もう少し先のようですけど。

こいのぼり

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